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りりママ
30代0歳児のママ。

超低出生体重児を出産したことをきっかけにブログを開設しました。
おもに心の内を綴っています。

日本の女性は頑張りすぎなのではないか?と常々思っており、そのような思いから、
寄り添えるようなブログを目指しています。

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【体験談】私の入院生活【前編】:原因不明の前期破水。

こんにちは、りりです。

現在0歳児のママで、2023年8月現在、息子は長期入院をしています。

今回は、安定期に前期破水となった私の入院生活についてお話ししたいと思います。

かなり暗い内容も含まれますので、赤ちゃん授かって幸せ!!!という気持ちの方は見ないことをおすすめします。

ただ、妊娠出産のリアルです。

こういった妊婦さんがいることも事実なので、妊娠出産は本当に奇跡だということを知っていただくために、

できるだけ多くの方の目にこの記事がとまればとてもうれしく思っています。

目次

突然の破水。人生で一番最悪な日。

カタカタカタカタカタカタカタカタ。

2023年2月末のある日。

その日、私はいつも通り嫌々出勤して(正確に言えば自宅なので、自宅PCから勤怠処理をして)

朝から自分のお客様からのメールと打ち合わせに追われ、PCを打ち続けていました。

とにかく人手が足りない。とにかく休みたい。

それが妊娠してからの3か月の、私の何よりも強い思いでした。

妊娠初期に、チームメンバーの3分の1以上が突如辞めてしまい、

朝8時半頃から12時間近く勤務する日々。疲弊していました。

その日もとにかく時間がなくて、ふとお昼ごろ時計を見ると、

もうお昼の12時を過ぎていました。

そのときのことは忘れもしません。

私は、「ああ今日もお昼返上で仕事するかな。。ごはんは片手間で食べたいから菓子パンにでもするか。。。。」

とため息をついてメールを返そうとしたその瞬間。

どばっ

何かが股の下から溢れ出る感覚がありました。

おりもののレベルではありません。

かなり直接的な発言になってしまいますが、

いうなれば、生理の最も出血が多い日の感じです。

私は、すぐに、

「え・・生理がくるわけないよね・・?え、なにこれ!?」

と思い、立ち上がったのが最後。

あとは洪水でした。

液体の海、海、海。。。。。

トイレットペーパーで抑えようとしてもそんなもので収まる量ではない。

羊水でした。


ただ、初めての妊娠だったため、破水ということをすぐに理解することができませんでした。

恥ずかしながら、流れてきているものが最初何かわかりませんでしたし、

この週数での破水が何を指すかもわかっていませんでした。

ただただ、もうパニックでした。

これを書いている今も、

その出来事から半年ほど経過しているにも関わらずあの時の恐怖心でいっぱいになります。

とにかくパニックで、何を思ったのか、私はとりあえずトイレに向かいました。

ナプキンを取ろうとしていたのかもしれません。


そんなもので抑えられる量ではないのに。

慌てて持ってきたスマホでトイレの中で母に電話をしました。

「ねえ、なんか股から大量に水が漏れちゃう!!!どうしよう、止まらない!!!!!」

そうパニックで伝える私に母もパニックになり、

「え・・・・それ破水だよ!!!???すぐに病院にいって!!救急車の手配できる?!!」

と言っていました。


そこからあれよあれよという間に救急隊の方がきてくれました。

救急隊の方がパニックだけど平然を何とか装っている私に向かって、

年齢や週数など色々と質問をしてくれます。

恐怖心、襲ってくる不安感の中で、質問に答えていました。

救急隊の方が病院に連絡をしてくれ、

タクシーで来てほしいと言われましたが、とめどなく流れてくる羊水のせいで、

とてもじゃないですが、マンションの下までなんて降りることができず、担ぎ込まれて、病院に向かいました。


人生最初の救急車でした。

下された診断。前期破水からの死産宣告。



救急車の中で、私はずっと泣いていました。



とにかく恐怖で体が震えていた。



母は破水と言っていたけど、これはこのあと陣痛が始まるのか?


それはどんな痛みなのか?自分は耐えられるのか?


そもそも。


この状況で子供が生まれるってどういう状況なんだろう。



わからないことばかりで。とにかく怖かった。


そんな私に、救急隊の方が優しく話しかけてくれた。



最近無理しすぎちゃったのか?と聞いてくれて、


数日前に引っ越しをしたと伝えました。


そう、私は別々に住んでいた夫と生活するために、数日前に転居したばかりだったのです。



この時、


私が転居しなければよかったのではないか?


引っ越し準備をほとんど自分だけでやってしまったからではないか?

そんな思いがずっと脳裏をよぎっていました。



その時通院していた大学病院に到着し、

救急搬送の出口で看護師さんが待っていてくれました。



すぐに診察に呼ばれ、

まずは内診とのことで、診察台に上がりました。


自宅での様子を伝えると、本当に破水なのかどうかをチェックしますということでした。



結果、破水しているという診断がくだりました。



このとき、


『ああ・・やっぱりそうだったんだな』


とぼんやりとショックを受けていましたが、それがどんなことを意味するのか、

知識不足の私にはわかりませんでした。



内診後、隣の部屋で詳しくお話しますねと先生に告げられ、

隣の部屋に移動しました。


その部屋に入って、先生は椅子に座ってすぐ、



「これからすぐに残酷な話をします。」



と言いました。


ショックを受けすぎて当時の記憶が曖昧ですが、


私は恐怖心を覚えたことだけは記憶にあります。



「内診の結果、破水をしています。17週での破水はかなりレアケースではあります。

 通常、ここから2週間以内、遅くても1か月以内には陣痛が起こり、赤ちゃんが生まれます。

 残念ながら生きて生まれることはできません。お腹の外ではまだ生きていることができません。



聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。


意味がよく分かりませんでした。



なぜ、破水が起こったのか?

陣痛がすぐに起きてしまう可能性もあるということなのか?

お腹の外ではまだ生きれないとは何なのか??


知識不足ゆえの悩みが次々と生まれました。

いや、知識があったとしても、実際に自分の身に起きれば、パニックになって次々と疑問が生まれてくるのかもしれません。



このあたりで、確か夫が駆けつけてくれたと思います。

ただ、正直この日の記憶が本当に曖昧で、あまり覚えていません。

そのあと、パニック状態のまま、赤ちゃんの心音を聞くということで、

診察台の上で心音を確認しました。

赤ちゃんは、、、

とても元気でした。



このとき、赤ちゃんのトクットクッという心臓の音を聞いたことで、

私はこの日初めて号泣しました。


まだすごく元気に心臓を動かしているこの子が、あと2週間後には亡くなってしまう可能性が高いなんて。

意味が分かりませんでした。

実際にお子さんを亡くす方がきっと辛いのだと思いますが、


人生で最も残酷だと思いました。


ここで、きてくれた夫と一緒に再度同じ話を聞きます。

破水の状態には「高位破水」と「完全破水」と2つありますが、

私の羊水の減り具合等を見ると「完全破水」と推測すると言われました。

奇跡が起きても、赤ちゃんの肺の形成は上手くいかない場合が多いし、

そもそも22週という生きて生まれる可能性が高くなる週数までもつ可能性は限りなく低いと、

非常に言いにくそうに、ただオブラートに包むことはせずに言われました。いや、言ってくれました。


そのあとは、点滴の準備など、バタバタと入院準備が始まりました。

先生たちが不在にする間に、夫と二人きりになる瞬間があったのですが、

その時、私が見せた泣き顔を夫はずっと忘れることができないそうです。



「こんなに元気に心臓を動かしているのに亡くなっちゃうなんて信じられない」

「残酷すぎる」

「仕事頑張らなければよかった」

「引っ越しもしなきゃよかった」

ずっとずっと自分を責めていました。



夢だったらいいのに。



これまで、結婚を約束していた彼との失恋も、いじめによる鬱病も経験しました。

人並程度には辛いことを経験してきたと思います。



でも、この日ほど、これが夢だったらいいのにと思ったのは、この時が初めてでした。

相部屋での孤独な入院生活

そして、この日から、私の辛い辛い入院生活が始まりました。



毎日、「トツキトオカ」アプリとNetflix、アマプラだけを見る日々。



とにかく辛かったのは、相部屋で聞こえてくる出産後のママさんたちの声でした。



はっきりお伝えしたいのは、誰も悪くないということです。


幸せなママさんも悪くないし、何なら、痛い思いをして可愛いわが子を産んだんです。

これから幸せだけど大変な育児がずっと待っている。

今だけはしゃいだって、何にも悪くありません。

何ならハイになったって、それが普通だと思います。

でも、破水した私も悪くない。

とにかく、幸せな声を聞くのが辛かった。


「面会いきました?すっごくかわいい赤ちゃんですよね!」

「旦那さんは育休とかとってくれますか?ママが育児辛くないといいんですけど・・」


そんな看護師さんの声。


「もうすっごくかわいくて!面会行けるのがすごく嬉しくって」

「夫は育休をとってくれるので、3人でしばらく過ごせそうです!」


そんなママさんの声。



こんな中でずっと


いつ陣痛が起こるのか?

その時赤ちゃんは助かるのか?(助からないことは知っていたけど少しでも希望を見出しだかった)


そんな恐怖と戦っていた私は、


何だか子供を産んで3人で幸せに暮らすなんて異世界の話のようだと思いました。


とにかく、これが夢だったらいいのに。そうずっと思っていました。

母に入院を伝えた時に、


妊婦のわりに激務だった私に、赤ちゃんが犠牲になって、休む時間をくれたんだよ、


そう言われましたが、

はっきり言ってそんな言葉慰めになりませんでした。

赤ちゃんにずっと謝っていました。

私は仕事を辞めるか休職しようと思っていたタイミングだったので、


赤ちゃんを守るために辞めれば良かった


とずっと思っていました。



入院して2日目に、私は改めて診察に呼ばれ、内診をしました。


そこで羊水がやはりかなり減少していることと、

改めて、現在の状況について説明をされました。


診断名は、



「前期破水」



17週での前期破水は、かなり少ない割合ながらも起こってしまうことはあり、

先生も、これまでみてきたケースはあったそうです。


正直、原因不明なことがほとんどで、私の場合もそのようでした。


可能性があるとすれば、子宮内感染を起こしており、それが原因で破水をすることがあるということでした。


感染・・????それは何・・???

私が何か悪いことをしたんだろうか・・??


先生の話を聞きながら、ずっとそう考えていました。

そして、先日の先生と同様、ここでも先生は、


「今からお伝えすることは、お母さんにとって、すごく辛いことかもしれない」


そう言いました。

そのあとに言われたことは、昨日と同じで、


・あと2週間以内にお産になる可能性が高いこと

・そうなっても赤ちゃんは助からないこと

・万が一生存限界ラインの22週を超えた場合も重い障害が残る可能性が高い

・肺の形成は上手くいかないと思ってもらった方がいい


という話でした。

淡々と説明してくれました。

改めて私は、泣かないようにしようと思っていたけど、涙が頬を伝うことを我慢はできませんでした。

この診察が終わった後、病室のベッドで、幸せなお母さんたちの中で、


声を押し殺して号泣しました。


正確には、押し殺すことはできていなかったと思います。

なりふり構うことはできませんでした。


なんで自分が?と思いました。

何も悪くないこの子が?と思いました。


流産かもしれないと言われながら、
初めて心拍が確認できた日に、エコー写真が入ったクリアファイルを抱えながら、

笑顔をおさえきれず、幸せいっぱいで帰った日。

その日の記憶などがよみがえってきて、なんて残酷なんだと泣きました。



だいすきな映画も何も面白くない。

その日、あんなにだいすきだった映画が何も面白くなかったことを鮮明に覚えています。



それからは毎日、絶望とともに目を覚まし、絶望とともに眠りました。



いや、正確に言えば眠れていませんでした。

元々私は自宅でないと寝れないタイプ。

それに加えて、いつ陣痛が起きるかわからない恐怖で、全く気が休まりませんでした。



ただ、ご飯だけは残さず食べていました。

また、お水も飲んでいました。

※お水を飲むと羊水が増えることもあると看護師さんから言われたからです。あくまで可能性です。



それだけしか、私は赤ちゃんにできることはないと思ったからです。

心拍確認。一番幸せで一番残酷な時間。

入院中、唯一の楽しみが毎日の心拍の確認でした。

まだ胎動を感じられていない私にとって、唯一赤ちゃんを感じることができる時間でした。

ですがそれは、


一番残酷な時間でもありました。


なぜなら、とっても元気な心音を確認するたびに、


『こんなに元気なのにあと数週間でバイバイなんだ。。。いや、今日バイバイかもしれないんだ。。』


そう思ってしまうから。

なので私は、元気な心音を聞くたびに、最初のころは涙を流してしまいました。

看護師さんは恐らく涙の原因をわかってくれていたので、いいんですよと優しく言ってくれました。

ただ、入院も2週間くらいが経過すると、段々と心境の変化が生まれます。



この子は今を賢明に生きている。



もっと、元気に心臓を動かしてくれていることを、ママである私だけは喜んであげなくっちゃ。

そう思って、段々と嬉しい気持ちの方が勝ってくるようになりました。

入院中、数少ない人だけに、私と赤ちゃんの状態について伝えていたのですが、

その中で2人のお子さんをもつ先輩ママから、こんな言葉をもらっていました。

「今、本当に辛いね。本当によく頑張っているね。でもね、お腹の子供を信じてあげられるのはりりちゃんしかいないのよ!

 今は、りりちゃんと赤ちゃんだけの、2人だけの時間。やっともてた、2人だけの誰にも邪魔されない時間なの。

 この時間は2人だけのものだよ。たくさん話しかけてあげて、たくさん可愛がってあげてね。



その言葉をもらってから、私は、お腹の子供にトイレや電話スペースなど、自分だけのスペースで、

少しずつ話しかけるようになりました。

そのときだけは、唯一気持ちが休まりました。


大好きだということ、お腹の中に来てくれてありがとうということ、

自分は本当に幸せだということをしきりに伝えました。


何回伝えても伝えきれませんでした。

夫との馴れ初めや夫がどんな人かなども色々話していました(笑)



妊娠がわかってからの激務、引っ越しなどでなかなかゆっくりした時間がとれていなかった私にとって、

初めて訪れた赤ちゃんとのゆっくりした時間でした。

私を救ってくれたものは日記だった。



入院中はとにかく辛かったので、

私は自分を落ち着かせるために、日記をつけるようになりました。

これしかなかったという表現がぴったりくるかもしれません。



大好きだった読書をしても映画を見ても、何をしてもとにかく楽しくないし赤ちゃんのことが頭をよぎるので、

「文章を書く」という能動的な行為で自分の気を紛らわせていました。



↓入院中私が書いていた日記の一部。殴り書きですが。。。💦



普段忙しくてなかなか自分の人生について考える機会がなかったので、

本当に貴重な時間を赤ちゃんにはもらったと思っています。



入院をしていても、赤ちゃんのことだけでなく自分の今後のことばかり考えてしまって、

最初は自分のことを責めていましたが、

これも貴重な時間だと思って、

真剣に自分の今後と向き合ってみたりもしました。



それはそれで、気持ちを落ち着かせる一つの行為にはなったと思っています。



↓こんなふうに赤ちゃんのためにやっていきたいことを箇条書きにしたりして、モチベーションを上げたりしていました。



書くのにはやはり精神的な体力がいるのですが、

このように自分と向き合えたことは私にとって貴重な財産になっています。



今まではずっと、自分の気持ちよりもどこかで、


「世間的に見てこの選択肢は間違っていないか?」

「経済的な安定という観点からどうか?」


という観点で自分の進路や選択を決めていました。

例えば、

やりたいことよりも東証一部上場企業に勤めること。

つわりでどんなに辛くても、仕事を休まないこと。



これはこれでいいことなのかもしれませんが、

それよりも、精神的な豊かさや、自分自身と赤ちゃんの幸せを今後は考えていきたいと確信しました。

奇跡的な退院。幸せな一週間。

実はこのあと、約1か月の入院生活を経て、

私はほぼないと言われていた可能性の一つである、「破水という状態でなくなる」

という診断を受け、退院しました。

ただ、Twitterを普段ご覧になっている方(いつもありがとうございます・・!)

はご存じの通り、退院してから一週間ですぐに再入院となってしまいます。



結局、私の赤ちゃんは25週と0日で生まれ、今も病院で頑張ってくれています。



退院してから再入院するまでの1週間は、それはそれは幸せでした。


退院が決まってから、何を食べようとウキウキして、ずっと食べたかった病院では絶対食べられない焼肉を食べたこと(笑)

普通の焼肉なのに死ぬほどおいしかったこと(笑)

夫と久しぶりに対面して、私の愛犬と夫と3人でソファーに座り、孤独のグルメ(笑)をだらだら見ながら昼寝をしたことが、

本当に幸せだったこと。

久しぶりにテレビゲームをしたこと。

全てが幸せでした。


何気ない日常です。


でも、何より貴重だと思いました。


よく、入院中に、あのとき何気ない日常が本当に幸せだったんだという方がいますが、

少しわかったような気がしました。


この時の一週間のことはきっとずっと忘れないと思います。

自分が欲張りになりそうになったときに、入院生活とともに思い出したいと思います。




先ほどお伝えしたように、このあとまた自宅で破水し、私は二回目の入院をします。


一回目とはまた違う辛さが、次は待っていました。

書くのに精神的な体力がいるので、続きは入院レポ【後編】として書きたいと思います。



これを読んでくださっている方の中には、


私と境遇は違えど、切迫早産の方、

妊娠初期で不安な方、

安定期だけど心配は尽きない方、

などなど様々な状況の妊婦さんがいらっしゃると思います。


そのような方が一人でも幸せなお産ができるよう、


赤ちゃんとお母さんが無事で元気でいられるよう、心から願っています。

読んでくださり本当にありがとうございました。

⇒私の出産体験談はこちら

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