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りりママ
30代0歳児のママ。

超低出生体重児を出産したことをきっかけにブログを開設しました。
おもに心の内を綴っています。

日本の女性は頑張りすぎなのではないか?と常々思っており、そのような思いから、
寄り添えるようなブログを目指しています。

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超低出生体重児のその後は?600g台で生まれた息子の成長記録



先日、25週と0日で生まれた息子が、生後4か月目にして、

3,000gにようやくなることができました。


出生体重は677g。

ちいさなちいさな赤ちゃんでした。


今回はNICU、GCUで4ヶ月以上入院している息子の、

生まれてからの成長記録を書きたいと思います。


※現在はGCUを退院しています。


山あり谷あり、いろんなことがありました。

りりママ

超低出生体重児ってどんな成長をたどるの?

うちの子供はどうなるんだろう・・


こんなママさんに向けて書きました。


もちろん、リトルベビーのママでなくても、ぜひ読んでもらいたいです。


100 人 に約 1 人は 1500ℊ未満(極低出生体重児)と、珍しいことではありません。


こんなに頑張っている赤ちゃんが世の中にはたくさんいることをわかってもらいたい。


その一心で書いています。


息子の写真とともに振り返っていきます。



りりママ

超低出生体重児って何?



そんな方にこそ読んでもらいたいです。


つい最近までの私は、聞いたことすらない言葉でした。



注釈

あくまで私の息子の場合です。

超低出生体重児の赤ちゃんの成長、予後は本当に赤ちゃんそれぞれです。

亡くなってしまった赤ちゃんも、知っています。

病院でも、何人も見てきました。

心からご冥福をお祈りするとともに、あくまで息子の場合であることを固く、ここに記載させていただきます。



目次

緊急帝王切開で600g台の息子が生まれた日。

朝いちばんの緊急帝王切開でとりあげてもらった息子


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【体験談】長期入院からの緊急帝王切開レポー前編ー こんにちは!りりです。 現在0歳児のママでIT企業でカスタマーサクセスのお仕事をしています。 今回は、私のリアルな出産体験談をお話ししたいと思います・・! 本内容...



こちらの投稿の通り、


前日の夕方頃から前駆陣痛のような痛みが始まってしまったため、

朝いちばんで主治医から緊急帝王切開を告知されました。

元々入っていたオペをずらし、私の息子のために時間を確保してくれた先生、

そのときにオペを受ける予定だった患者さんには、

心から感謝しています。


週数が浅すぎる赤ちゃんは、通常の経腟分娩に体力が追い付かないため、

緊急性が高いときは、カイザーをすると事前に伝えられていました。

すぐに人工呼吸器をつけられ、NICUヘ


息子はすぐに挿管してもらい、

人口呼吸器をつけてもらってNICUにいきました。


私は縫合をしてもらっていたため、

息子の顔をきちんと見ることはできませんでした。


麻酔の感覚がものすごく気持ち悪くて耐えるのに必死な中、

私の息子は産声を上げなかったので、

無事なのかどうか、ただただ心配でした。

無事に出産できた安堵と嬉しさ。


元々いたMFICU(ママの集中治療室のような個室)に戻り、

病室のベッドで術後の猛烈な痒みと闘いながら、息子の写真を夫から見せてもらいました。





小さすぎて本当に心配になりましたが、無事に出産できたことが本当に嬉しかったです。

夫が、「すごくかわいいんだよ」と

普通に言ってくれたこともすごく嬉しかったです。


ものすごく小さかったですが、生きたいという力を感じました



本当に嬉しかったです。

後陣痛と術後の痛みと戦う


出産してから退院するまでの数日間は、

帝王切開の術後の痛みが本当に辛かったのと、

悪露がたくさん出てくるのですが、後陣痛もとても痛かったです。

でも、不思議ですね。


息子に会いたいと思うと、頑張れました。


オペの翌日からは、自分で歩いてNICUに面会にいきました。





数時間に1回面会できるのですが、

それが怖くも、とても楽しみでした。


怖かったのは、痛々しい息子を見るのが、

私にとっては、

「早産になってしまってごめんなさい」という

罪悪感を感じることに繋がっていたからです。

母乳を必死で出す日々


退院までの数日間は、とにかく3時間おきに、必死に搾乳をしていました。


このときは超早産となってしまったことに対して、

まだものすごい罪悪感と恐怖心にかられており、

免罪符のように搾乳をしていました。



この時、人間の身体ってとてもすごいなあと思ったのが、

早産児のママさんであっても、きちんと母乳が出るようです。



むしろ、早産の子に適した成分の母乳が出るようになっているということで、

慢性肺疾患など、死に至る病から守る役割を果たすので、非常に重要だということでした。


私の産院は無理に母乳を進めることは決してありませんでしたが、


このような話を助産師さんから聞いたことで、


とにかく生まれてから数日は、母乳マッサージを頑張っていました。


正直母乳マッサージは結構痛いのですが、

私が息子にしてあげられることはこれしかないと思いました。


マッサージは最初の数日が肝心と助産師さんに教えていただきました。


出産当日から教えていただいた通りに母乳マッサージを頑張っていたからか、


ちょっとずつ出る量が変わっていきました。



退院時には、分泌がかなりしっかりしてきて、

助産師さんに褒めてもらえるまでになりました。



辛くても、産後すぐの母乳マッサージの効果、絶大です。

超低出生体重児の72時間の壁

72時間の壁とは?


1,000g未満で生まれた超低出生体重児の赤ちゃんは、生後72時間壁を超えるまでが一旦の山場と言われています。


私の場合、25週と0日の朝に生まれているので(ほぼ24週みたいなものです)、 


早産の中でも早産。


この72時間を無事に超えられるかどうかが怖くて怖くて仕方ありませんでした。


それは出産前から怖かったことでした。


生まれてから、72時間のカウントダウンが始まりました。


1日1日、母乳のことと、赤ちゃんのことだけを考えました。


妊娠中の17週から22週のときほどではありませんでしたが、


1日1日がすごく長かったです。


出生から3日後の朝、無事に72時間を迎えるタイミングで、


急な処置が入ったので、NICUへの面会を一回ストップしてほしいと言われました。


私は、もういてもたってもいられませんでした。


無事に、面会許可が出て、面会を再開したとき、


先生が、特段特別な処置というわけではなく、命に別条はないという旨教えてくれましたが、


その途端、恐怖と安堵で、私は産後初めて、先生の前で泣いてしまいました。


超低出生体重児の生存率


超低出生体重児で生まれた赤ちゃんの生存率は週数別に異なっています。


私は、子宮内感染症にかかってしまい、MFICUに入院しているときに、


『感染の値が下がらないので、もう赤ちゃんが生まれてきてしまうと思います』というお医者さんの判断で、


23週の時に、小児科の先生から直接生存率について説明をしてもらいました。


生存率は以下の通りと言われています。


22~23週で生まれた赤ちゃんの生存率:約66%

24~25週での早産の赤ちゃんの生存率:約86%

26週~27週で生まれた赤ちゃんの生存率:約94.0%



私は、


『息子が、助からない1割強の中に入ってしまったら・・』


ということがもう怖くて怖くて仕方ありませんでした。


正直、安定期で破水してしまって入院してからは、


『自分の命はもうどうでもいい。息子をどうか助けてほしい。』


と思っていたので、


生まれてからもずっと神様という存在に病室からお願いをしていました。



この不安、恐怖は、息子の体重が1,000gを超えるまで続きました。

母だけ退院。ひたすら搾乳をする日々。

ひたすら搾乳をして、届ける日々。

私は、息子を出産した5日後に退院しました。


息子を置いて退院することは何だか寂しかったですし、


申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


入院してから約3か月、とにかく退院することを待ち望みにしていたのに、


退院した日、私は全く気分が上がりませんでした。


この時の気持ち


きっとマタニティーブルーだったのかなと思いますが、

ずっと助産師さんや看護師さんに過保護なほど見守ってもらっていた入院生活だったので、

『これから一人で息子の予後に対する不安と向き合っていかなければならないんだ・・』

と勝手に不安になっていました。


また、入院中は、

ママたちの陣痛を耐えているときの叫び声や、

NICUの緊迫感など、

常に特殊な環境だったからか、

あまり外の世界(という表現がぴったりです)

に適応できませんでした。



退院してからは、とにかく搾乳をして、面会をして母乳を届けました。


息子と一緒にいれなくても、おっぱいは3時間もたたずに、何なら搾乳して数10分後には


張って痛くなってきました。




何だか虚しかったですが、私が息子にできることはこれしかないので、


とにかく頑張りました。


乳腺炎にはなりませんでしたが、胸がとにかく張って痛くて痛くて、


退院してから友達が遊びに誘ってくれましたが、しばらくは3時間おきに絶対に搾乳しなければならないので、


遊びには行けませんでした。

退院したけど、楽しくない日々が続く。


退院後は、とにかくずっと寝ていました。


私は、入院中1日3時間くらいしか眠れていなかったので、相当な睡眠負債が溜まっていたのだと思います。


退院してから、やりたいことリストというものを作っていましたが、


全然気分が晴れず、


搾乳をしては寝て、また搾乳をして、


その繰り返しでした。


働いているときはあんなに何もしなくていい休みがほしかったのに、


全然楽しくありませんでした。


退院して1週間後くらいから、少しお腹の傷の痛みがましになってきたので、


図書館などにいってリハビリをしていました。


約3か月安静にするというのは、人から相当な筋力を奪うようで、

私の足は筋肉が落ちてすごく細くなってしまっていました。

人口呼吸器をつけて頑張る息子。

ちいさくちいさく生まれた息子は、まだ肺の形成が進んでいないので、

人口呼吸器をつけて、生命維持を頑張りました。


私もこのような立場におかれて初めて知ったのですが、

人工呼吸器にも段階があり、

息子は最初、酸素の出力が高いタイプの呼吸器で頑張りました。





その姿は何だか痛々しくて。

私は、面会が楽しみでもあり、少し辛い時間でもありました。


ただ、ものすごい生命力を感じるんです。

全然自分で呼吸ができないのに。


『頑張って生きていきたい』


息子の全身から感じました。

なので私も搾乳を頑張れましたし、

ただただ息子に感謝していました。

段々と手足が動くようになる。



生まれてから1週間後には、手足が動くようになりました。


こんなポーズもしてくれます。







このように足を上げてくれた日にはもう歓喜で。


夫、両親、義理の両親とともに大喜び。


赤ちゃんの生命力に感動しっぱなしでした。



手も少しずつ動かすようになっていきます。


本来ならお腹にいれる期間。


退院してからもずっと罪悪感がありましたが、

段々段々、息子の成長が楽しみ、

という気持ちの方が勝ってきました。

初めて目を開けてくれた日。


退院して3週間くらい経って、息子が目を開けてくれました。





まだぱっちりとではありませんが、うっすらと。すぐあけて、また閉じます。


そのときの感動といったら。


私は思わず『おはよう!』と息子に話しかけました。


息子は、目が全然見えていないと思いますが、耳は聞こえているようです。


私は毎日毎日、しきりに、『頑張ってくれてありがとう』『だいすき』と伝えました。


このときも、息子の予後が心配でなりませんでしたが、そんな中、私の友達が素敵な言葉をくれました。


『少し早く生まれてきたけど、その分、息子くんの成長をもっと長く見れるね。楽しいね。

赤ちゃんの時間はすごくかわいいけど、一瞬だから。その可愛い時間を長く過ごせるね。』



この言葉に今も支えられています。


少しずつ増える体重に喜ぶこと、

初めて目を開けたときの喜び、感動、

手足を少しずつ動かすことにいちいち嬉しくなってしまうこと。


たくさんの感動を毎日くれました。

体重が1,000gを超えた日

先生や看護師さんから、

一つの安心できる区切りとして、体重1,000グラムを目指しましょうと言われていました。


息子は一日数グラムから数十グラム体重が増えていき、減ってはの繰り返しで、

息子の体重を増やすことが、私の搾乳のモチベーションのすべてでした。


搾乳して毎日届ける、その繰り返しが、息子の体重を増やすことに繋がっている。



私にできることは搾乳と毎日の面会しかないと思っていたので、


どんなに気分が落ちても搾乳だけは頑張りました。



そしてついに!


出生後2か月あたりで、ついに息子の体重が1,000グラムを超えました!

※1017グラムの息子






そのときに先生から、

「息子くん、ついに1,000グラム超えましたね。もう、大丈夫ですよ。」

と笑顔で言っていただきました。


本当に嬉しかったです。

まだまだ痩せていますが、少しだけふっくらとしてきました。

家族みんなで喜びました。

超低出生体重児のママの母乳事情

ここで少し母乳についても触れたいと思います。

私は、何が何でも母乳で育てたい!という考えではありませんでした。


しかし、やはり早産児ということもあり、

生産期で生まれた赤ちゃんよりも、母乳は大事とのことでしたので、

できるだけ頑張ろうと思いました。


フォロワーの先輩ママさんからも教えていただき、

母乳外来にも何回か通いました。


そこで、胸の張り感の確認や、詰まりを取っていただいたりなどしていただき、

出生後3か月母乳を継続することができました。

もちろんもっと長く母乳で頑張るお母さんもいて、それはそれでもちろん尊敬しています。


ただ私の場合、息子がいない中での深夜の搾乳がどうしても辛く、

睡眠欲も勝ってしまい、

深夜に搾乳することで睡眠不足が蓄積されるのがどうしても辛かったため、

退院後の生活に備えるために、8月からは完ミにしてもらいました。

それでも大きくなっていますし、

私の体調もすごくよくなったので、私はそれでよかったと思っています。

初めて手をつないだ日


息子が順調に体重を増やしていったある日、

看護師さんが、

「手を握る力が強くなってきましたよ!ママも手をつないでみますか?」

と言って、息子と私の手をつながせてくれました。




想像以上にぎゅっと握ってくれて、息子の指は少し白くなっていました(笑)


私はこのとき、退院後初めて息子の前で泣きました。


看護師さんや夫にばれないように。


「ありがとう・・。本当にありがとう・・。」


そう言って、感謝の気持ちを伝えました。


ここまで、辛い治療もたくさんあったと思います。


生後数週間は、しかめっ面をしながら、苦しそうにずっと頑張ってくれていました。


そんな息子が、こんなに強い力で握ってくれたことに、頑張ってくれたことに、ただ感謝しました。

超低出生体重児の人工呼吸器について

息子は、少しずつ肺が育っていくにつれて、

人工呼吸器も変化していきました。

私は医学的なことがわからず、正式な名称は分かりませんが、

こんな感じでどんどん変化していきます。







同じ呼吸器であっても、息子の状態に合わせて出力を変えているようで、

息子が自分で呼吸できる度合いが高くなってくると、呼吸器の出力を弱めて、というように調整していただきました。



先生も看護師さんも、ずっとモニターを見ながら、繊細な調整をしてくれました。

医学ってすごい、医療従事者の方ってすごい。

息子の入院中はひたすらそう思っていました。

GCUに移動になった!


7月初旬から数週間、コロナウイルスにかかってしまったことで、面会ができない状態が続きました。


そのときの私のやさぐれっぷりといったら(笑)


息子の成長を見れないことがただただ残念でした。


熱自体は5日ほどで下がったので、そのあとは自由にできたのに、


本を読んでも何をしてもぜんぜん面白くない。


自分がいかに息子のことがモチベーションかを痛感した日々でした。


久しぶりに面会したとき、息子は知らぬ間に酸素の鼻マスクがはずれており、


簡素な呼吸器に代わっていました。





また、一段と身体も大きくなっていました。


成長のスピードに驚きました。


体重が増えたこと、また、呼吸状態が安定したことで、息子は入院から3か月ほどでGCUに移動できました。


初めて抱っこできた日。


GCUに移動できた初日、私は息子を抱っこすることができました。

生後3か月、ようやく抱っこできました。






この日をずっとずっと待っていました。


抱っこをすることができたとき、あまりにも嬉しくて泣くのを忘れました。



私は、母親になった実感をずっと持てずにいました。

起こったことも壮絶で何だかまだ夢の中にいるようで、

隣に息子もいないので、どこか虚無感にさいなまれるときがありました。


この時初めて、母親になったのだと思えました。

とても幸せな日でした。何度も写真を見返しました。

呼吸を外す練習を頑張る


息子は、段々と自分で呼吸できる割合が増えてきたため、

呼吸器を外す練習を先生とはじめました。



最初はほんの数分から初めて、少しずつ少しずつ時間を長くしていきました。

もうその頑張りと言ったら。

看護師さんや先生たちの話を聞いて何だか涙が出るようでした。

もちろん、途中で苦しくなって、練習を中断することもありました。

でも、頑張ってるから苦しくなるんですよね。


ずっと、ゆっくりでいいよと思っていました。


息子のペースで、ゆっくりで。

誤嚥性肺炎になる


8月に入って少しして、胃に管を入れていてそこからミルクを摂取していたのを変えて、経口哺乳も始まりました。


少しずつ飲む練習にも慣れて、呼吸状態も安定してきたね!となったある日、


誤嚥性肺炎となりました。


それに伴い、呼吸状態も悪化しました。


心配でなりませんでした。


せっかく口から飲めていたミルクをやめて、


再び胃まで到達する管を通し、呼吸器も付け直しました。





私は息子ではないので、処置を代わってあげることは出来ません。


それが何より辛かった。


でも、息子は頑張っていました。自分は本当に無力だと思いました。


せめて、日々の面会を頑張ろうと思いました。

初めてお顔が全部見れた日。



抗生剤の投与と息子の頑張りもあり、肺炎が落ち着いて呼吸の状態も落ち着いたころ、

呼吸器を少し長い時間外すということで、初めてお顔をちゃんと見れました。

すごくかわいくて、嬉しくて、感動しました。

ついに3,000gまでのカウントダウン

ひたすら呼吸の練習を頑張る


退院が決まるまでの約3週間はひたすら呼吸の練習を頑張っていました。

もちろん最初から安定なんてしません。


ミルクを飲んだとき、また飲んでいない時もふらふらとして酸素の値が下がることがありました。

途中で練習を中断したこともありました。


そんな中、

息子の場合は、本当に突然、8月の中旬に呼吸が安定したんです。


看護師さんも、退院はもっとかかると思っていたそうで、


急な成長ぶりに驚いたようです。


25週で生まれてきて、これまでずっと頑張ってきた息子。


赤ちゃんの頑張りは、医学を超えることがあると言われていましたが、


この時それを改めて感じました。

ついに3,000グラムへ。


入院から4か月経過した8月終わりころ。

呼吸も安定し、ミルクもお口から上手に飲めるようになってきました。





このころから成長が目覚ましくなってきます。


沐浴を開始し、看護師さんとともに体重計に乗せたとき、ついに3,000グラムになっていることを確認!

「息子君、おめでとう!」

一緒に歓喜しました。


本当によく頑張ったね。


一生分の親孝行をしてくれました。


この日から数日たって、先生から退院の話がありました。


そして、9月7日、ついに息子は退院します。

この経験を経て



私は、この経験をして良かったと思うことはありません。


辛い思いをさせてしまったことには変わりないし、

何よりものすごく精神的に辛かったからです。


ただ、この経験を経て、すごく気付かされたことがあります。


それは、本当に大切なものはそんなに多くないということ。


命が何よりも大切だということです。


生きていれば、小さな悩み事はたくさん出てきます。


妊娠とキャリアの両立、夫婦の価値観の違い、などなど。


全て私が悩んできたことです。


でも、NICUやGCUで必死に頑張る赤ちゃんを見て、


そして、助からず亡くなってしまった惜しまれる命を見て、


生きていることはなんて素晴らしいことなんだろうと教えてもらいました。


この経験を経たことで、私は本当に悩まなくなりました。


なぜなら、もっと悲しいことが存在することを知ったからです。


その悲しみに比べたら全然つらくないことばかり。


きっといまNICUに面会に行っているママさんたちはすごく不安な思いを抱えているかと思います。


ただ、絶対その分、いろんな形で幸せになれますし、

絶対、強くなれます。


みなさんのことを心から応援しています。


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